柏 秀樹 OFFICIAL BLOG
ヒデキの部屋

  • ひとりごと…

節電で学んだこと。

この度の被災者の方々へ、心よりお見舞いを申し上げます。

直接に被害を受けなかったけれど計画停電で思うように仕事が進められない方々も多いのではないかと思います。停電・節電だけに話題を絞りますが、停電をできるだけ避けるための節電について、すでに多くの方が実行されていると思います。夜の街を走るとあちこちで街灯が消されています。コンビニもファミレスも例外ではありません。でも、よくよく考えると普段の家庭内の生活だけではなく、いろんな店舗や施設などについて今までが明る過ぎたのではないか、という思いをしています。

たとえば違った例えをしますと、ファミレスやファーストフードなどで流れている音楽。もしもその音量を大きくするとどうなるか。お客さんの会話のボリュームが上がる。逆に一切、音楽を流さないとどうなるか。きっと誰もが静かに話をするようになるでしょう。静かに話せる環境になれば、きっとお客さんは快適。満足します。だって、その方がラクであるし、声量の大小だけではなく、普通の声による会話なら微妙なニュアンスまで意思疎通できるようになる。会話というものは意思疎通があってこそ。大声でしゃべるだけでは結局のところ、相手には通じないことが多くなる。つまり、サービスのつもりの店内の音楽垂れ流しって、客にとってサービスのマイナス効果。選曲・音量・音質などほとんどすべて「サービス」という名のお店側の勝手な幻想だったりする。簡単に言うと音楽は大なり小なり客にとって迷惑ってこと。かなり音響にこだわって静かだけどちゃんと心地よい音がゆたかに流れているなら、話は別だけれど。

店内の明るさもますますエスカレートしていくと、ちょっと暗いだけでも「凄く暗い」ように感じるようになる。声の大きさも眼に眩しい光もエスカレートしてマヒ状態になる。スピードだって100キロでずっと走ると60キロが凄く遅く感じられる。つまり、音と光と速度の洪水は人を鈍感にしていくのではないか。これと同じ原理というわけではないけれど、街灯を明るくすると、看板がより目立つように照明をさらに明るく、より大型化するようになる。これでますます街が明るくなる。これで経済が活性化する側面もある。あるけれど、大切なエネルギーが無駄に消費されて失う側面も大きくなっていく。それって、収入は増えても電気代という支出(家庭内の電気使用だけではなく、いわゆる街灯は税金で賄うわけですよね)が増えて実質的な可処分所得が増えないようなもの。つまり、街が明るいと栄えているように見える。けれど、実際はそれだけのコストを間接的にも直接的に自分が負担していることになる。自分の負担額が大きくなると、本当にやりたい活動ができず、欲しい物も買えなくなる。

明るすぎる照明も大きすぎる音量も、いずれは人々の頭を悪くしていくのではないか。あるいは人々を貧しくしていくのではないか。もしもこの先、日本経済が立ち直るなら、せめて、いたずらに明る過ぎる・うるさ過ぎる街作り・店作りだけは避けていただきたい。

天災から我々が学ぶべきは文明の発展ではなく、普段から蓄積して行くべきほんの些細で謙虚な生活の知恵ではないだろうか。どんなに巨大な防波堤を造っても、どんなに安全と言われる原発を造っても天災は軽くそれらを吹き飛ばしてしまうのだから。