柏 秀樹 OFFICIAL BLOG
ヒデキの部屋

  • ひとりごと…

欠陥自動車「照明」書?

大きな会社がちょっとトラブルを起こすと、まるで鬼の首を取ってきたかのようにマスコミは大騒ぎをする。もちろん欠陥の問題があってはならないが、完璧なんてないだろうし、なんだかすぐヒステリックになるのも、ね。

で、これよりももっと怖い事例を当局も我々も見過ごしている。たとえば自動車の夜間無点灯走行だ。これは以前からいろんなところで講演で話題に上げたり、ブログに書いてきたけれど、昨日のオフロード講習の帰りの、わずか2時間足らずの走行だったが、夜間の雨でやはり5台も無灯火走行のクルマを見かけた。怖いから、やっぱりまたまたここで書いちゃおうと思った次第。いつわれわれがその犠牲者・関係者になってしまうかわからない、というと大袈裟に思われるかもしれないが、実はそうではない。やっぱり当たり前だが「他人のクルマの無灯火走行は非常にリスキー」なことなのだ。

ではなぜ、クルマは無灯火で走ってしまうのか。理由は簡単。メーターの照明だ。昔ならバッテリーに負担をかけるから、という節約意識で暗くなっても点灯させないクルマがそれなりにいた。今は大半が異なる理由で無点灯なのだ。古いクルマはヘッドライトオンになったときだけメーターが照明される方式だった。運転者はメーターが暗くて情報が読めなくなって「そうか、ヘッドライトを点けていなかった」と気がつきやすい。だが、現在のクルマは走行可能状態であればメーターが常時照明する方式になっている。だから周囲が明るくても暗くても自分の車がヘッドライトを点けているかどうか、わからない事態に陥りやすい。

その背景にあるのは市街地では街灯が多くなって夜間でも明るく見通しが良いために無灯火でも走行できてしまう時代になったからだ。違法性以前の状況に陥ってしまうし、本人には悪意はまったくない。単純な過失だ。だがその過失が軽度で済まない可能性がある。周囲からよく見られる運転をしてこそ安全運転なのに、無灯火走行している本人は安全運転していると錯覚してしまうことになる。つまり、クルマの技術進化が人間の錯覚を多く・大きくしている典型的な例なのだ。

そして雨が降るともっと始末が悪い。雨が降るとヘッドライトの光が拡散して、ヘッドライトが路面を綺麗に照射しなくなって、ヘッドライトの点灯・無点灯をよりわかりにくくする。基本的に雨の日は日中でもヘッドライトをオンにするのが賢い走り方なのだが、夕方や夜の雨で無灯火の確率がより高くなるというわけだ。しかも黒っぽいクルマによる無灯火走行だと周囲からほとんど見えない事態になってしまう。黒いクルマに乗っている本人は何も気がつかないままだ。

オートライトシステムといって、暗くなると自動的にヘッドライトが点灯するという装備が出てきているが、それはオートライトのスイッチをそこにセットしていないと点灯しないシステム。やはり最終的には正常な判断力を持つドライバーの判断に依存することになる。だからこれも本質的な解決にならない。

ではバイクと同じようにクルマも常時点灯式とするのが良いか、というとそれはそれでヘッドライトのバルブやバッテリーに負担が掛かるし、CO2低減にも貢献できない。では現実的に事故発生抑止と必要最小限のCO2消費という枠の中で貢献できる具体的な方法は何か。これから生産されるクルマは「完全自動ヘッドライトシステム搭載」とすること。それは以下の条件を備えたものだ。「所定の暗さ」と「時速5Km/h以上になった場合」に強制的にヘッドライトオン、つまり「完全自動:フルオートライトシステム」というものだ。

青梅街道を夜8時頃、バイクで走っていて、後方確認をしてからウインカーを出して右へレーンチェンジしようとしたら、クラクションを鳴らされたことがある。右後方に無灯火のクルマがいたのだ。もしもこれで事故が起きていたら、そのクルマの運転者は「バイクがいきなり右に寄ってきた!」といってバイクが悪いとされるだろう。もしもライダーが命を落としたらそれですべて終わりだ。ドライバーは自分の無灯火走行を事故処理後も気がつかないまま、警察は「はい、それでおしまい」と処理する可能性だってある。たとえ運良く怪我や接触事故程度に終わっても「無灯火走行」だったことを「被害者」が証明するのは大変なことだ。

自動車を作る人、売る人、自動車の行政に関わる人、自動車に乗る人同士、自動車の周辺にいる子供や老人そして我々ライダー。誰だってこれが原因で加害者や被害者になる可能性がある。特に視力も判断力も低下している高齢者には前後左右あらゆる方向から「来ていることがよく見えるクルマ」は重要なはずだ。ハイブリッド自動車の回生制動エネルギーの制御をとやかくするのも大切だろうが、自動車の無灯火走行をなくすひとつの具体的な手だてなど実に簡単なことなのに、結局誰もやらない。

国土交通省管轄ASV3(第3次アドバンスド・セーフティ・ヴィークル)の発表時にも、その会社のエンジニアに、クルマの無灯火走行の危険性について提言し、改善を申し入れた。なぜなら真っ先に常時メーター照明を取り入れた会社だからだ。現状のオートライトシステムでは不十分だと。けれど、積極的に売っていくための商品性アップにつながらない、というのがクルマメーカーの本音なのかもしれない。現在の「オートライトシステム」程度でお茶を濁しているか、現状の交通に対する認識不足としか思えない。すでに装備上の法的な措置が欠かせない時期に来ているのに。聡明なはずの当局の方々やクルマのエンジニア達がそんなことに気がついていないはずがないとも思う。もちろん、フルオートライトシステムが全車導入となって、さらに人が機械に依存することになるだろうということは変わりがないけれど、中途半端な「オートライトシステム」の有無よりも、「全車フルオートライトシステム」完全導入の方がまだ功罪がはっきりできる、ともいえる。あのクルマは付いていて、こっちのクルマは付いていない。そんなことでは各ドライバーの「暗い」ことに関する恣意性(勝手な判断)が介在して、ある人は「無灯火でいい」、ある人は「点灯しなければならない」、ある人は「そのどちらにも気がつかない」ことになるからだ。これが本当の暗夜行路か?といえるかも。

とりあえず知り合うことができた人に、すぐそこにある危険を具体的にお伝えし、効果的な処方箋をお渡しして安全に楽しく走っていただくこと。それが非力な私なりの役割と思っている。